食事をしながら紅葉見物。
ふたりのドライブは6年続いた
そのうちに徘徊が続くようになり、片時も目が離せなくなりました。
何をするにもばあちゃんと一緒。家の掃除をするときも、ばあちゃんと手をつなぎながら、一緒に掃除機をかけたり、私がトイレに行くときも、ばあちゃんと一緒に入って、自分の前に立たせておいたり。
ふたりで一緒にお風呂に入ることもありました。
3年後、ばあちゃんにある変化が出てきました。
それまで胃ろうで食事をとっていたのですが、
胃が小さくなって流動食が逆流して口から戻すようになり、消化器内科の佐藤先生とも相談して、腸ろうに切り替えることになったのです。
胃ろうと腸ろうの大きな違いは食事の時間の長さ。胃ろうが1食1時間ほどに対して、
腸ろうは2時間半。その結果、1日7時間半、車いすに座ることになり、
自分一人で歩けなくなってしまいました。
でも、流動食が終わるのをじっと待っているのも味気ない…と、
「気分転換に、食事しながらドライブしよう」と思いつきました。
盛岡まで紅葉を見に行ったり、さくらんぼ狩りに行ったり、
ばあちゃんの兄弟の家に遊びに行ったりと、
ふたりのドライブは6年間続きました。
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病院のそばに引っ越し。ふたりきりの生活に
しかし、徐々に体調を崩すように。半年に一度、3カ月に一度と入院するようになり、
何かあったときすぐ病院に行けるようにと、実家を離れて、脳外科の医師がいる
秋田市の病院近くにばあちゃんとふたりで引っ越すことにしました。
ある朝、起きたら、ばあちゃんの意識がありません。あわてて救急車を呼んで
搬送する途中、鼻から酸素を入れてもらって目が覚めましたが、
あのときは本当にびっくりしました。結局、痰がのどに詰まって気絶してしまったことが
わかり、訪問看護師の松井さんに痰の吸引のやり方を教えてもらって、
それから家でも痰の吸引をするようになりました。最初は怖かった。
口から入れるやり方と、鼻から入れるやり方、両方教わりましたが、
その感覚がよくわからず、鼻の粘膜を傷つけて血が出たり、のど仏に当たったり。
それが耳と指先の感覚でだんだんわかるようになっていきました。
その少し前、腸閉そくを起こしたのを機に、聴診器も買いました。
入院中、看護師さんたちが日に何度もばあちゃんのお腹の音を聴きにきて、
腸が正常に動いているか確認する姿を見て、
私も覚えたほうがいいと思ったんです。
内科の草薙先生からは、
「水道管を水がゴロゴロ流れるような音がしていれば、
腸がしっかり動いている証拠だよ」と教わりました。
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7年の介護の末、ついに寝たきりに
その1年後、ばあちゃんは何も話してくれなくなりました。
ばあちゃんの最後の言葉は、平成27年9月、病院の受診に行ったときです。
その日は休み明けで病院も混雑していました。
会計で待っている間、「せこちゃん、せこちゃん」と呼ばれたのが
最後だったと記憶しています。
その後は、こちらから話しかけても返事はありません。
それでも、人間には死ぬまで感情があります。まわりでお世話する人の心を感じ、
耳を澄まして声を聞こうとしています。
だから、「私があきらめたら終わりだ」と思って、わき目もふらず介護するうちに、
ばあちゃんの身体の状態や気持ちが、少しずつですが、
理解できるようになっていきました。
私の想いに応えようと、ばあちゃんも入退院を繰り返しながらがんばってくれました。
孫世代の介護って自己犠牲なの?
世間からは、「1対1で、孫がおばあさんの介護をしているなんて珍しい」
「つらくないの?」「結婚はどうするの?」と言われます。
でも、そんなことをいちいち悩んでもしかたない。
問題があれば、そのときに考えればいい。
ばあちゃんと一日でも長く一緒にいられるようにと、それだけを考えています。
それに、おばあちゃんと孫の関係だからこそ、頭にきたり、ぶつかったりせずに、
何があってもやさしい気持ちで向き合えるのかもしれません。